ブレイクダンス(B-boying)の歴史

以下の記事からブレイクダンスとはどのようなダンスかお判りいただけたかと思います。

ブレイクダンス(bboying)とは?

2018.09.18

ただ、前回は表面的な部分に触れただけなので、
今回はブレイクダンスの歴史をもっと深掘りしていきます。

ブレイクダンス「B-boying」のルーツ

ブレイクダンスは、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの4つの構成からなるダンスですが、最初からこの構成であったわけではありません。

1970年代前半に若者に流行していたThe Good Footというダンスが始まりです。

1969年にジェームス・ブラウンThe Good Footという曲をリリースしたことでも知られています。
(ブレイクダンスのバトルで流れている曲です。)

James Brown – Good Foot

The Good Footは、足だけを使うシンプルなフリースタイルのダンスです。この踊りに屈んで地面に手をつき踊る動きがプラスされ、フットワークスタイルが生まれました。
そして、ブルックリンでは立ったり屈んだりするダンスが生まれ、のちにアップロックと呼ばれるようになりました。

ブレイクダンスの誕生には様々な説があり、明確なルーツは、はっきりしていません。ただ、アメリカの各地で様々なスタイル、新しい動きが進化してブレイクダンスは形成されています。

ブレイクダンスの曲「ブレイクビーツ」とシーンからリスペクトされるレジェンドDJ

B-boyが踊る音楽ブレイクビーツは、曲の間奏部分の音楽のことです。(ブレイクとは間奏という意味)音楽のジャンルは、ファンク、ソウル、ジャズ、ラテン、ディスコミュージック、R&Bなど1970年代〜1980年代頃の音楽が多く使われています。

James Brown – Give It Up Or Turn It a Loose

Bongo rock 73 – Incredible bongo band

Babe Ruth – The Mexican

ブレイクビーツの間奏部分ではドラムやパーカッションが激しいリズムで展開され、パーティーでは一番盛り上がりを見せる場面でした。

そして、その盛り上がる時間を長く保つために、あるDJは同じレコード2枚と2台のターンテーブルを使用し、1枚目の間奏の終わると直ぐに2枚目の間奏の最初から曲を流すという方法を編み出すことに成功しました。

これが現在、2枚使い(ビートジャグリング)と呼ばれる手法で、当時メリーゴーランドと呼ばれていました。DJを経験されている方なら1度は耳にしたことがあると思います。

2枚使い(ビートジャグリング)

そして、この2枚使い(ビートジャグリング)を開発したのが、HIPHOP3大DJの一人DJクールハーク(Kool Herc)です。

クールハークは高揚感のあるビートを流してブレイクを長く保ち、ダンサーは踊り、MCがラップをする機会を増やしパーティーを盛り上げることに成功したのです。パーティの盛り上がりと比例して、ダンサーやMCが集まるようになり各地に広がりを見せ、ヒスパニックなど黒人以外の人種も踊るようになったのです。

スラム街で生まれたHIPHOPは、70年代後半まで完全なアンダーグラウンド文化でしたが、DJクールハークの登場により、ブレイクビーツとB-boyingは発展し、HIPHOPの礎となり広がっていきました。

世界的に広がるブレイクダンスとRock steady crew(ロックステディークルー)

盛り上がりを見せるHIPHOPシーンであったが、そう長くは続きませんでした。

DISCOブームの到来で「1979年になるともう終わってる」と言われ、ニューヨーク、マンハッタンでは犯罪に手を染めるB-boyが現れたり、低迷期が続いていました。

そんな逆境の中でも変わらず、B-boyingを続けていたのがRock steady crew(ロックステディークルー)設立者、ジミー・DとJOJOでした。彼らは1977年に変わらず(Steady)に踊り続けることを目的として“Rock steady crew“を結成。Crazy-Legs達をメンバーとして加え各地に支部を作り、活動の場を広げていきました。

1981年ロックステディークルーにリンカーン・センターでの野外公演出演の話が舞い込みました。そこでCrazy-Legsは、ライバルのDynamic Rockersとのバトルを実現し、大盛り上がりをみせました。そしてこの公演は地元TVで放送され、雑誌の表紙や新聞にも掲載。全米に衝撃を与え、世界のメディアにもとりあげられました。

これをきっかけに活動を休止していたB-boy達は活動を再開し、メディアはHIPHOPをとりあげHIPHOPブームを巻き起こしました。まさに、ロックステディークルーの活躍が衰退していたブレイクダンスシーンを再熱させたのでした。

このブームでブレイクダンスは更なる進化を研げます。これまでのムーブはフットワーク中心でしたが、ウインドミル、ヘッドスピン、ハンドスピンといったパワームーブが発展し迫力のあるムーブが更にブレイクダンス を広げました。

パワームーブは様々な動きを発展させ取り入れています。ウィンドミルはカンフーの起き上がる動きを連続して継続することから生まれ、ヘッドスピンはアフリカの民族ダンス、エルボースピンはロシアンダンスから取り入れているという説もあります。

1982年にブームを後押しするかのように、初のHIPHOP映画となる「WILD STYLE」が制作され、ロックステディークルーが出演しました。更に映画「Flashdance」が制作されB-boyingやムーンウォークのシーンは世界中に衝撃を与え、アメリカでは社会現象となり、爆発的にB-boy人口が増加しました。

映画 Flashdance

ブームと共に「Breakin’」、「Breakin’2」、「Beat Street」などブレイクダンス・ストリートダンスの映画が続々と登場し、ストリートで踊る若者は急増しました。

しかし、ブームはそう長く続きませんでした。練習場所で怪我や事故などが起こり、警察や社会がブレクダンスを迷惑だとし、ダンスを禁じるようになりました。メディアや企業はビジネスとしてブレイクダンスを利用し、すぐに手のひらを返し去っていったのです。

1980年代前半に巻き起こったブレイクダンスブームは、メディア露出が急激に減少した1985年以降、ブレイクダンスは時代遅れ、ただの流行りだったという結果になってしまったのです。シーンの衰退と共にギャングに戻るB-boyも現れ、ブレイクダンスはしばらく低迷期を迎えてしまうのでした。

「HIPHOP=RAP」マスメディアにより一人歩きしてしまうラップシーン

ブレイクダンスは低迷期を迎えてしまったが、RAPは流行り始めたのです。RAPはレコードとして購入することができるので、マネタイズが可能です。企業やマスメディアはそこに目をつけ商売を始めました。HIPHOP=RAPとして売り出したために本来のCulture(文化)というものが誤って認識されてしまったのです。

「HIPHOP」は「DJ」 「Rap(MC)」 「BBOYING」 「GRAFFITI WRITING(ART)」という4つの要素をCulture(文化)とした総称です。

ブレることなく本質を貫いた一人の偉大なMC

マスメディアの誤った売り出し方のせいで、一人歩きしてしまったRapですが、HIPHOPの本質を理解しブレイクダンスの進化を見続けていたMCがいました。そのMCは、幼少時代からクールハークがパーティーで流すブレイクビーツを聴いて育ち、シーンでも活躍するMCに成長していました。

そのMCの名は「KRS ONE」です。

”1991年にKRS ONEは自分達のイベント「Source Awards 1991」にロックステディークルーを出演させ、BBOYに新しい居場所を提供した。そこから全てが変わった。”と発言しています。

そして、低迷期と言われていた時代でも鍛錬を怠らずスキルを磨き続けた新世代のB-boyたちもシーンに登場し活躍しました。

DANCER’S DELIGHTには、
「こんな状況でもBRONXには本物があった。真のBBOYたちは、世界中で根強くBBOYINGを続け、新たなる時代の到来を待った。特にロサンゼルスやサンフランシスコなどの西海岸の都市、そしてヨーロッパでは、POWER MOVEの進化や新たなコンビネーションの発明が、一部のBBOYの間で確実になされていた。」
と記載されている。

更にKRS ONEは、自分のPVにB-boyを出演させ、再びブレイクダンスは脚光を浴び、様々なアーティストの作品に出演するきっかけとなりました。

1990年代初めには、「The resurgence of BBOYING」と呼ばれるブレイクダンス復興のムーブメントが起こり始めました。
このムーブメントは全米に広がり、ブレイクダンスは着実に成長を遂げていったのです。また、この頃にヨーロッパではBOTYが初開催され世界での拡大も見られました。

そして、ロックステディークルーBBOY SummitRSC Anniversary(1991~)といったイベントを開催し、世界中のB-boyが参加するようになりました。80年代から90年代といったあらゆる世代のB-boyが参加するイベントにより若い世代はHIPHOPの本質を理解し、流行で終わらず文化として捉えることができるようになりました。

いかがでしたか?

ここに書いてあるのは、ブレイクダンスの歴史の一部にすぎません。ブレイクダンスの歴史や文化を学ぶことによって考え方も変わってくると思います。

また、ブレイクビーツ、曲の変わり目、スクラッチなどDJ目線を意識すると、ムーブ構成やフリーズの音ハメなど完成度が高くなってくるでしょう。

B-boyとしてより高みを目指すのであれば、歴史やブレイクビーツを学ぶことも重要だと言えます。

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